移動術でコラム01 [コラムTOP]

注:ここでいう「移動術」はParkour、Freerunnig、Art du Deplacementの全てをさします。

【パルクールとしてのフリップ】
※別の場所に書いたものを加筆・修正。

以前、PKTKのメンバーがある人から聞いたという興味深い話をしてくれた。その人は器械体操の指導をしていて、PKTKとも1年以上前から顔見知りだ。メンバーとの会話やネットなどを通して、パルクールのこともある程度理解している。

その人いわく、フリップも「効率的な移動」に使える場面があるのではないか、とのこと。例えば「体操選手にマット上の走り幅跳びの距離を競わせたら大半は空中で前方宙返りをするだろう」と教えてくれた。実際に陸上競技の走り幅跳びでも、跳躍中に前方宙返りをして飛距離を伸ばすというスタイルがかつて存在していた。
※ただし、現在は「安全性」の問題でこの跳び方は禁止されている。

これがそのままパルクールでいうところの「効率的な移動」になるのかは考える必要があると思うが、自分も以前から「フリップもパルクールに使える場面があるはずだ」という考えは持っていたのでなかなか面白い話だと思った。

ここで重要なのは単純に「フリップだからパルクールではない」ということではないことだ。フリップは"多くの場面で"効率的な移動にならないからパルクールの動きでないのだ。逆を言えば、効率的な移動となるフリップはパルクールの動きと言えるのだ。

そしてこれはフリップ以外の技術についも言えることだ。「○○Vaultはパルクールか?」という議論は一般化できない。ある特定の場所、状況においての議論にしかならないからである。トレーサーはあくまで"多くの場面で"効率的な移動を行うための技術を習得しているにすぎない。

いつか「効率的な移動となるフリップ」がパルクールをさらに進化させるかもしれない。

(2008/07/07)


【パルクールにおける効率的な移動とは何か】
※STEP MARKS BBSに書いたものから改変。

パルクールの目的は「効率的な移動をすること」である。ここでいう効率とは「移動時間の短縮」と「安全性」のことだと私は考えている。

例えば「高さはパルクールじゃない」という言葉があるが、これには「高いところから下に移動する場合、飛び降りた方が『移動時間の短縮』は得られるが、『安全性』は失われる。だから『得る効率<失う効率』となる高さから飛び降りるのはパルクールではない」という意味合いが含まれているような気がする。逆に言えば「得る効率>失う効率」となるDropはパルクールなのだ。具体的にどれくらいの高さからが「得る効率<失う効率」なのかは個人の技術や経験で違うはずだし、安全への考え方によってもまったく変わってくる。ただ自分が考えているよりもかなり低いと考えた方がいいのだろう。

常に「より効率的な移動とは何か、それには何が必要か」を考えて基礎トレーニングや動きの研究をすることが重要だと思う。

以下は言葉遊びだが、真理だと思っている。
「効率的な移動とならないFlowは、パルクールではない」
「効率的な移動となるFlipは、パルクールである」

(2007/06/11)


【「速さ」と「早さ」】

一般的な「移動」にとって重要なことはなんだろうか、「安全」「快適」「短時間」といったところだろうか。
これらについてパルクールではと考えてみると、「安全」は満たしているとはいえない。たとえどんなに熟練したトレーサーであっても万が一の「危険」を意識しないわけにはいかないからだ。しかし、危険をいかに減らし、より「安全」に近づけていくかという作業こそパルクールであるとも言える。

次の「快適」は「楽しさ」と読み替えてよければ、トレーサーに関して言えば十二分に満たしているだろう。パルクールの魅力はトリックを成功させたときの快感と移動する楽しさだ。

最後に「短時間」であるが、これは「早さ」と言い換えられる。ここでの「はやさ」は決して「速さ」ではない。例え時速100kmで動いていようが、100m先に移動するのに1時間もかかるような遠回りをしていては「短時間」での移動とは言えない。ここでの「はやさ」とは「早さ」なのである。

ではパルクールではどうなのだろうか、パルクールが「移動」であるならば「速さ」よりも「早さ」を求めていくべきだと思う。どんなに速い動きでどんなに素晴らしいトリックを決めようが、それが遠回りになってしまってはいけないのではないか。そう考えるとフリップはもとより、スピン、リバースなどのトリックが「早さ」の障害となるだろう。果たしてそれで「快適」が失われないだろうか、パルクールの魅力が半減してしまわないだろうか。「速さ」と「早さ」を両立させてこそ、移動はパルクールに進化する。

(2006/09/04)


【パルクールの定義を考える】

パルクールはエクストリームスポーツに分類されることが多い、そしてまた芸術であるといわれることもある。このどちらにしても「魅せる」要素が重要になってくる。そして前者に比べ後者は魅せる要素が多いのではないだろうか。またパルクールは「Art of movement」と称されることが多いが、これを日本語訳するばあい一般的には「移動の芸術」となる。しかし、日本のトレーサーの中には「移動術」という訳を好んで使うものがいる。果たしてこの2つの訳にこめられたものの違いとは何か。これもやはり「魅せる」要素が関わっている。パルクール=移動術とした場合、スポーツである以上に魅せる要素が少なくなり、よく言われる「速く、そして美しく」の「速く」の部分を重要視している。例え美しくても「速さを失う美しさ」は必要ではないという考え方であろう。

逆に魅せること、美しいことを求めたときに考えなければならないのがフリップなどの「魅せ技」の存在だ。これらは移動する上で絶対に必要というものではない。例えまったくそれを行わなくても、移動はできる。むしろ移動する上では不合理な存在なのである。しかし、魅せることを求めるとそれらは必要となるのである。また美しさについては意見の分かれるところであろう、何が美しいかというのはまさに主観であり一概には言えないからだ。フリップを使わずより効率的に移動するのを美しいとするのか、フリップの動きが移動にさらなる美しさを与えるのか、絶対的な定義を与えることは出来ないだろう。

ただここで気をつけたいことがある。ただ単にフリップやアクロバット的な動きをその場でしているだけではそれはパルクールではない、それは移動術でないのはもちろん「移動の芸術」ですらなく、「動きの芸術」とでも言うべきものだ。またひとつの障害物にとどまって、そこでトリックをどんなに「速く」連続しておこなったとしても、やはりそれも「移動」ではなく「動き」である。パルクールにおいて一番重要なのは「魅せること」でも「美しさ」でも「速さ」でもない、「移動」である。つまりパルクールとは「移動」である。

(2006/09/04)


【移動術における実践とは何か】

現代の日本での生活の中で、移動術を使うことなどあるのだろうか。移動手段として使うならば「早く目的地に辿り着きたい時」「何かから逃げるとき」ということが考えられる。

前者は普段の生活で遭遇しやすいシチュエーションである。しかし、身長のはるか上の高さから飛び降りたり、壁を攀じ登ったりするほど急ぐ場面はなかなかないだろう。使えるとしてガードレールを跳び越えるくらいなのではないだろうか。では、後者の「逃げるとき」はどうか、その迫っている危険の度合いにもよるがこれについても前者と同様でそこまでの状況にはなかなか出会わないのではないか。

ただ個人的には女性などが護身術を習うように移動術を習得するのも有効ではないかと思っている。危険な場面に遭遇したときは「闘う」より「逃げる」ほうがいい気がする。ただ手を掴まれたりしたら、それをほどく術とかは必要だろうが。

この「実践」についての議論はしばしば武道の世界で語られることが多いようだ。武道とは護身術であり、不当な暴力から身を守り、それを撃退すること、そしてものによっては殺人術であったりする。スポーツ格闘技では試合という「目標」があるため、その相手を想定し練習すればいいわけだが、本来の武道には演舞や乱取りはあっても試合はない(と思うけど実際はあるのかも)。

実際に出会うかどうかわからない実践を想定して技を磨く、それに果たして意味があるのだろうか。武道はあるかどうかわからない実践を想定している。自分も少なからず実践を想定して移動術のトレーニングをしているつもりだ。

(2006/09/04)


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