移動術の歴史と普及 (2008/07/07更新)

「移動術」の歴史と普及ついて私なりの知識・解釈で記述します。
注:ここでいう「移動術」はparkour、free running、Art du Deplacementの全てをさします。



【「移動術」のはじまり】
「移動術」の原型は人類が誕生したときから存在していました。目的地に移動するため、狩りで獲物を追うため、そして遊びの中にもそれはあったと考えられます。現代においても木などに登ったり、柵を跳び越えたり、少し高い場所から地面に飛び降りたりして遊んだ経験が多くの人にあるはずです。そういった意味で「移動術」はもともと誰の中にも存在していました。

そして、1980年代にフランスのLissesという町で現在へと続く「移動術」の流れが始まりました。そこに住む少年たち(※1)は町に存在するあらゆる構造物を使って遊んでいました。攀じ登り、跳び越え、飛び降りる・・・そんな遊びの中で「移動術」は生まれました。そして彼らは大人になってもこの遊びを続け、「移動術」を発展させていったのです。


【「移動術」の普及】
大人になった彼らやその意思を共有する先駆者たちは、「移動術」を世の中に普及させるための活動を各々で行っていきます。教室を開き指導を行い、映画の出演・制作をし、その他のメディアにも出演しました。特に2001年に公開された映画「YAMAKASI」が彼らの存在を世の中に広めました。しかし「移動術」の存在は街中で飛び回るというその性質上、当初は危険なエクストリームスポーツとして認識され、警察の取り締まりの対象でさえあったのです。本当の意味で世の中に認められるようになるにはさらなる地道な普及活動を必要としました。

その結果、普及活動を続けて10年余り経った現在ではフランスやイギリスの欧州の国々では「移動術」は誰もが楽しめるスポーツという形で徐々に広まっています。先駆者たちが開く教室(※2)もあり、子供から大人まで多くの人々が趣味や体力づくり、または精神鍛練の一つとして「移動術」のトレーニングを実践しています。そして、かつては取り締まる側であった国からもその活動が認められ、消防士の訓練に「移動術」が取り入れられたり、学校などの教育の場で「移動術」を教えるということも行われています。先駆者たちの地道な活動が「移動術」を世の中に良い形で普及させたのです。そして彼らは今やフランス国内にとどまらず世界中でその活動を行っています。

さらに「移動術」は映画、CMなどのメディアへも進出しプロと呼ばれる人たちも存在します。各地でイベントも開催されています。こうして「移動術」は多角的なスポーツとして確実に世の中に広まっているのです。


【日本での「移動術」の普及】※ここの項目は主に私見です
2008年現在、日本での「移動術」の普及度は低いと言えます。映画の「YAMAKASI(ヤマカシ)」という名前で知られていたり、徐々にメディアで「パルクール」「フリーランニング」という言葉を聞くようにはなっていますが、実践者はまだ一部の若者だけといった感じです。

今後、海外の影響もあってメディアを通して「移動術」の存在が日本にも広まる可能性が高いです。そして「移動術」を始めたいという人が増えると思います。日本の各地にも練習会の開催、メディア出演など地道な活動(※3)を行っている人達がいます。しかし、日本でメディアを通して「移動術」が広まった時、それを受け止める受け皿としてはまだ発展途上であると感じます。海外の先駆者たちの実績という手本がある一方、自ら地道に普及を行ったのではなくメディアで急速に広まるものを受け止めるのは逆に難しい部分もあるでしょう。

必ずしも海外と同じ様にした方がいいとは思いませんが、「移動術」が危険なエクストリームスポーツとして世の中に広まってしまうのは実践者たちにとっても良いこととは言えません。広まるならば健全な面も持ったスポーツとして広まって欲しいです。そしてその中で、「移動を究めたい」「危険でも人間の限界に挑戦したい」「パフォーマンスとして魅せたい」「メディアに出て有名になりたい」といった個々の目的のために「移動術」を使えばよいのではないでしょうか。

「移動術」にとって環境が悪いといわれる日本でも、ちゃんとした形で普及すればきっと皆がやりやすい環境が作れるはずです。それが全体の技術的なレベルアップにもつながり、後進へと続くものになるはずです。私もその普及に少しでも貢献できたらと思っています。日本の街中や公園で子供たちが「移動術」のトレーニングをしている風景を私生活の中で見かけたい、それが今ある私の夢です。そして、そういう環境の中で自分も「趣味として普段の生活で使える効率的な移動を身に付ける」という目的のためにトレーニングをしていきたいと思っています。


【脚注】
※1:この少年達が後に「Yamakasi」を結成する。
※2:「majestic force」(仏)、「parkour generations」(英)などの教室。
※3:当サイトの「リンク」でその一部を紹介しています。


【参考資料】※Webは2008.07.07時点の内容を参考
Wikipedia「Timeline of parkour」
NaGaRe「Parkourの歴史」
TV番組「トランスワールドスポーツ」のパルクール特集(2002年放送)
majestic force制作の「Generation Yamakasi」というドキュメンタリー動画
そのほか、多くのトレーサーから聞いた話


【余談:柔道の歴史】
先駆者たちが現在進行形で成し遂げている「移動術」普及の話は、日本人である私にはそれが柔道の歴史と重なりました。

柔道は人を倒すためや自分を高める武道・修行であった柔術が元になっています。明治初期に西洋文化の影響で柔術が衰退していたとき、柔術をさらに人間教育の手段としても発展させるため、嘉納治五郎によって「柔道」が作られました。

そして柔道は先駆者たちの長年の普及活動の結果、警察官の訓練に取り入れられたり、教育の一環として学校で子供たちに教えられるくらいに世の中に広まりました。そして今や日本を代表するスポーツとしてオリンピックの正式競技になり世界中に普及しています。

柔道は、趣味、体力づくり、精神鍛錬の方法として誰でもできるスポーツとして普及している一方で、より強くなりたいと競技としての選手を目指す人や、護身術/格闘技として柔道を使う人もいます。柔術の時代と同様に純粋に武術・修行として行っている人もいるかもしれません。

その先駆者たちの普及活動、そして多角的な普及の仕方が私には「移動術」のそれと重なって見えるのです。きっと他のスポーツもこういった先駆者たちの過去の活動があったからこそ今現在の普及につながっているのでしょう。

こう考えると、メディアやネットなど時代の流れが後押ししたとはいえ10年余りで「移動術」を世の中に良い形で認められる存在にした先駆者たちがどれほど偉大で、なぜ他の実践者たちから尊敬されているのかがよくわかります。


[HOME]

inserted by FC2 system