移動術でコラム06 [コラムTOP]

注:ここでいう「移動術」はParkour、Freerunnig、Art du Deplacementの全てをさします。

【移動術がめざす運動能力の理想とは】

移動術は一体どんな運動能力を持つことを身体的な理想としているのだろう。そして、それはどんな方法によって身に付けることができるとされるのか。これを考える上で参考となる言葉があるのでここで紹介する。一つ目は移動術の先駆者のひとりであるDavid Belleが、Sebastien Foucanとのインタヴューで答えた言葉、

「パルクールは、身体的分野の見地から考えると、身体的本質への近道である」(David Belle)

二つ目は、Methode Naturelleを創り上げたGeorges Hebertによる世界各地で出会った現地民族の運動能力についての言葉、

「彼らの身体は素晴らしかった。柔軟で、軽快で、巧みで、頑丈で、耐性があるのだ。彼らには体操の指導者がいる訳でもなく、ただ自然の中で生活しているだけなのだ。」(Georges Hebert)

そして、ジャン=ジャック・ルソーにも影響を受けていたHebertは以下のようにも考えていた。

>自然に対する深い考察こそが身体発達の正しい方法を知る方法である。

以上から考えられることは、移動術は身体的本質つまり人間が本来持っているはずの運動能力を理想とし、それは自然環境に身をおくことで身に付けられるということである。そして、実践者たちの多くが自然環境もしくはそれに近い環境でのトレーニングを行っていることからも同じことが言える。また人工的な環境においても自然環境におけるそれを模したトレーニングが選ばれていることからも同様である。例えば、専用器具を使う一般的なトレーニングよりも自重や周囲の環境をそのまま使ったトレーニングが選ばれているのはそのためである。

最後に、人間が本来の運動能力を持つためになぜ自然環境に身をおくことが必要なのかを改めて考えてみたいと思う。なおここでいう人間とは身体の構造が現代人と同じホモ・サピエンス全てのことである。純粋に身体的な運動能力について考えているためその時代、地域、文化、行動は問わないものとする。用語としては「解剖学的現生人類(AMH)」と呼ばれるものである。人間の身体構造が決定した時代に、彼らはどんな環境に身をおいていたのだろう。少なくとも5万年以上前のその時代、人間は自然環境の中で生活していた。生物の進化は環境に適することができた結果として起こるものである。つまり人間の身体構造はそのときの自然環境に適していたということである。そして彼らと身体構造が変わらない我々を含めた全ての人間は、少なくとも身体構造的には自然環境に適しているはずである。

以上のようなことから、自然という身体構造的に適した環境に身をおくことで人間は本来の運動能力を身に付けることができるのである。

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自然状態の人間がたえず自分の力を自由にし、
常にどんな出来事にも備えができており、
いわば常に自分を完全に身につけている
ということがいかに有利であるか
(ジャン=ジャック・ルソー)
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(2012/10/11)
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参考資料:
http://clipfeet.blogspot.jp/2011/02/blog-post_20.html
http://ja.wikipedia.org/wiki/ジョルジュ・エベル


【運動能力が高いとはどういうことか(2)】

ある特定の競技ルールの外では「運動能力の高さには適応性が必要である」ということが前回のコラムから示されると思う。ここでいう適応性とは簡単に言えば何でもできること、万能ということである。では万能な運動能力を持つとはどういうことだろうか。

オリンピックの全種目でメダル級の記録を出せた場合、ある意味で究極に万能な運動能力を持っていると言えるのではないだろうか。しかし、これはどう考えても無理がある。例えば、重量挙げの一番重い階級とマラソンで同一人物が同時期にメダル級の記録を出すことは不可能である。それぞれに求められる体格を含めた運動能力がまったく違うからである。もしそれが可能になるとすれば、身体的構造に何か劇的な進化が起きなければならない。ただしそんなことが起こった場合、誤解を恐れず言うならば、解剖学的に見て最早われわれ現生人類とは違う超人類ということになってしまう。

では、現実的に考えた場合の万能な運動能力とはどんなものだろうか。複合競技のアスリートはある種の万能な運動能力を持っていると考えられる。複合競技とは複数の種目を一人の競技者が連続して行う競技のことで、具体的にはトライアスロン、近代五種、ノルディック複合などである。場合によっては体操個人総合、水泳個人メドレーなども含んでよいかもしれない。

その中でもここではデカスロン(陸上十種競技)のアスリートの持つ運動能力を例にして考えてみたいと思う。デカスロンは文化的に万能を尊ぶ欧米では人気があり、その競技者はキング・オブ・アスリートとも呼ばれている。最近は日本でもイベントが開かれたり有力な選手の登場などで以前よりは注目されるようになってきたスポーツである。

デカスロンで行われる種目は以下の10種目である。

【デカスロンの十種目】
100m、走幅跳、砲丸投、走高跳、400m、110mH、円盤投、棒高跳、やり投、1500m

これらには短距離、ハードル、中距離、跳躍、投てきの種目が含まれ、それぞれで求められる運動能力の種類が違う。しかも、ある種目で必要とされる運動能力を伸ばそうとすると別の種目にマイナスに働いてしまうことがあるのだ。例えば、投てき種目で重要なのは筋力と体重である、しかし体重を増やすと跳躍種目にはマイナスになってしまう。単純に筋力だけ得ようとしても、跳躍種目に比較的必要とされない上半身の筋肉量分だけ体重は重くなる。こういった理由から十種目すべてで良い記録をだそうとすると、どうしても各々の運動能力を共存させる比率を考えなければならなくなる。そして、この比率が総合記録に大きく影響してくるわけである。

これは他の複合競技にも言えることだと思う。どの種目をどれだけ優先させるのか、それらに必要な運動能力をどのような比率で共存させるのかである。各競技で理想とされる運動能力の比率が具体的にどんなものかはわからない。しかし、どのような運動能力の比率を理想とするかを考えることが、「万能な運動能力と持つとはどういうことか」ひいては「運動能力が高いとはどういうことか」という疑問に一つの答えを示してくれるように思う。

(2012/10/10)


【運動能力が高いとはどういうことか(1)】

スポーツの種類によらず、そのトップアスリートは例外なく運動能力が高いと言えるだろう。
例えば、今年ロンドンで開かれたオリンピックに出場したアスリートは運動能力が高い。運動能力の高いアスリートが集まるオリンピックを見ていると、ある疑問が頭をよぎることがある。それは「どの競技種目のアスリートが一番運動能力が高いのか?」ということである。もちろん、この問いに対する正しい答えというものは存在しない。各競技種目で要求される運動能力の種類が違うからである。つまり何を基準に考えるかによってその答えが変わるのだ。

では数ある運動動作の中から仮に走るという動作、つまり「走る能力」を基準として運動能力が高い競技種目を考えてみるとどうなるだろうか。あくまで仮の基準である。

一般的に候補としてあがるのは、間違いなく陸上競技の走種目だろう。大きく分けても短距離、ハードル、中距離、長距離、そしてマラソンに代表される道路競争とそれぞれで要求される運動能力が違う。身体能力でいえば「調整力」「持久力」などが各種目で違ってくる。

そこでさらに基準を絞って、「100mを走る能力」としたらどうだろうか。これなら短距離100mのアスリートがもっとも優れているはずである。しかし、仮ではあるが今決めた「100mを走る能力」という基準を先入観を捨ててそのまま解釈すると、陸上競技用トラックの上とは限定されていないことがわかる。屁理屈のように思われるかもしれないが、もし砂浜や芝生において「100mを走る能力」を基準として考えた場合、別の競技種目のアスリートの方が優れているかもしれないのだ。

つまり「100mを走る能力」が高いということは、どんな環境(足場)でも走れる能力が備わっていなければならない。この「100mを走る能力」という基準では、環境以外にも限定されていないものがいくつもあるが、それらも考慮にいれると必要とされる能力はさらに適応性がある、フレキシブルなものになっていく。

また逆に考えて短距離100mのアスリートがもっとも優れてると言える基準を考えた場合、短距離100mの競技ルールとほぼ同じものになってしまうのである。つまり「どの競技種目のアスリートが一番運動能力が高いのか?」という問いにおいて、その判断基準は絞っていくことで各競技種目のルールそのものになってしまうのである。

(2012/10/09-10)


【基本的な運動動作について】

移動術のトレーニングで行われる基本的な運動動作(基本動作)とは何だろうか。
人間の行うさまざまな運動動作の中で、「基礎的運動パターン」と呼ばれるものがある。基礎的運動パターンとは、人間が子供のうちに習得できる基本的な運動動作のことである。テキストによれば「人間の運動に共通に見られる時間的・空間的に組織化された運動様式」と定義されている。人間の基礎的運動パターンは80種類以上あるがその一部を以下に示す。

【基礎的運動パターン】
・姿勢制御運動
 立つ、屈む、まわる、転がる、乗る、バランスをとる、ぶら下る、etc
・移動運動
 歩く、走る、這う、跳ぶ、登る、降りる、潜る、かわす、etc
・操作運動
 打つ、蹴る、投げる、受ける、掴む、持つ、倒す、引く、押す、etc
 
また移動術とも関わりの深いMethode naturelleでは自然的/実用的な運動として以下の10個の基本動作があげられている。

・歩く、走る、跳ぶ、這う、登る、バランスをとる、投げる、持ち上げる、自衛する、泳ぐ

これらの基本動作は、それ以外のさまざまな運動に共通するものであり、それぞれの運動に応じて特殊化されている。例えば、走るという動作は短距離走の走り方、Wall Runでの助走、テニスのフットワークなどに共通する基本動作である。したがって、ある運動を行なおうとする場合その運動にとって必要な基本的な運動動作をしっかり身に付けておくことが重要となってくるのである。

(2012/10/08-09)

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参考資料:『公認スポーツ指導者養成テキスト』(日本体育協会)


【運動能力について】

【運動能力(うんどうのうりょく)】
運動やスポーツはもとより、広く日常生活を営むためにも必要な身体の基本的な活動能力。しばしば「体力」と混同または並列して使用されることばであるが、体力という場合は筋力、持久力、柔軟性、敏捷(びんしょう)性など、それらを発揮する際のスキル(技術)をできるだけ排除した形でとらえた生体の機能を意味し、運動能力という場合は、走、跳、投といった、体力に運動やスポーツに必要な基本的なスキルを加味した能力を意味する。

小学館「日本大百科全書」より

「身体能力」に近い言葉に「運動能力」がある。辞書的な意味では上記の通り、運動能力は運動における基本的な技術も含めた能力のことである。身体能力の方は本来、運動における技術に依存しない基礎能力のことであり、上記の引用文おける「体力」に近いものである。

具体的な例を出すと、旧スポーツテストがわかりやすいだろう。体力診断テストが体力(≒身体能力)を、運動能力テストが運動能力を測定するための種目群である。

【体力診断テスト】
 ・反復横跳び(敏捷性)
 ・垂直跳び(瞬発力)
 ・背筋力(筋力)
 ・握力(筋力)
 ・伏臥上体反らし(柔軟性)
 ・立位体前屈(柔軟性)
 ・踏み台昇降運動(持久力)

【運動能力テスト】
 ・50m走(走力)
 ・走り幅跳び(跳躍力)
 ・ハンドボール投げ(投力)
 ・懸垂腕屈伸(筋持久力)
 ・1500m持久走(全身持久力)

ただ、身体能力という言葉は広義的に運動能力と同じように使用されることが多い。運動能力という言葉は「身体能力×技術」のことなので、身体能力は運動能力の一部だといえるが、この二つの言葉の境界線はかなり曖昧である。そして言葉の意味だけではなくそれぞれの運動種目に関しても同様である。ある運動種目において記録が技術にどの程度左右されるのか、つまりその種目に必要な能力がどのくらい技術に依存しているのかが明確ではない。例えば体力診断テストの種目である垂直跳びは、腕の振り方などの技術で記録が大きく変わってくるように思われる。

一般的に身体運動は程度の違いはあれ必ず技術に依存しているが、それ以上に純粋な身体能力にも依存している。それは筋力、持久力、平衡性、柔軟性などである。これらの能力は身体運動の中で技術を行うために複合的に発揮され、またその中で向上していくものである。そして身体能力の向上と、技術(運動技能)を身につけることで高い運動能力が得られるのである。

(2012/10/08)


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